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最高裁判所第二小法廷 昭和55年(あ)1104号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人松浦基之、同鷲野忠雄、同佐々木秀典の上告趣意のうち、憲法一一条、一三条、三一条、三三条、三四条、三五条違反をいう点の実質は、単なる法令違反の主張であり、判例違反をいう点は、所論引用の判例は事案を異にし本件に適切でなく、その余は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

なお、所論にかんがみ、被告人を含む本件路上集団を停止させた本件警察官の職務執行の適法性について判断する。

原判決及びその是認した第一審判決が認定するところに記録を併せみると、本件の経緯は、(一) 昭和五二年四月一七日午後四時三〇分すぎころ、東京都港区南麻布所在の在日韓国大使館入口付近に在日韓国青年同盟所属の百数十名の青年男女が一団となって抗議に押しかけ、「大使出てこい」「入るぞ」などと怒号しながら大使館構内に入ろうとして、同所の警備に当たっていた十数名の警察官ともみ合いになり、その警察官の一人である後藤茂穂巡査は、次第に集団の力に押されて後退するうち、集団の先頭部分にいた年齢二〇ないし二五歳位、身長一六五ないし一七〇センチメートル、顔はやせ型、紺色のジャンパーを着用した男から手拳で顔面を二回殴打されて、その職務の執行を妨害されるとともに、眼瞼上部を二針縫合し加療一〇日間を要する顔面挫創の傷害を受けた、(二) 後藤巡査は、右犯行を現認するとともに犯人の人相特徴を確知したのであるが、犯人が右集団の中にまぎれ込んでしまったので、その場でこれを現行犯逮捕することができず、右犯行の約五ないし一〇分後、前記大使館警備のためその場に来合わせた第八機動隊の警察官四十数名の応援を得て、同機動隊副隊長坂入照夫の指揮のもとに、右犯人を右集団の中から探索してこれを検挙するため、折から抗議行動を終えて前記大使館前の通称仙台坂通りの歩道上を二の橋交差点方面へ向けて立ち去りかけていた右集団(男女合わせて約一三〇名が歩道上を集団になって普通の速さで歩行中で、その先頭部分は前記犯行現場からおよそ一三〇メートル離れたスーパー「ナニワヤ」前付近に達していた)に停止を求めた、(三) 右停止を求めるに当たっては、楯を持ちヘルメットを着用した出動服姿の機動隊の警察官が、「待ってくれ」などといいながら、右集団の先頭部分にまわり込むとともに集団の列に沿って車道上に並ぶという方法がとられ、その際、警察官の身体や楯が集団の先頭部分にいた者の身体に接触する程度のことがあったが、求めに応じない者に対しては強制的に立ち止まらせるなどの措置はとられなかった、(四) 岡安巡査部長は、右機動隊の一員として、右集団の先頭部分において、右集団の停止に当たっていたが、その際、ハンドマイクを持ち右集団の一員と認められる被告人がその場から立ち去ろうとしているのを認めて、その停止を求めるため、「ちょっと待ってくれ」と声をかけながら、その背後から肩に手をかけたところ、いきなり被告人から第一審判決判示の暴行を受けて負傷した、(五) 集団が停止した後、後藤巡査が見分して、犯人でないと認められる者を順次立ち去らせたが、その間右集団を停止させていた時間は、六、七分であった、というのである。

ところで、犯人が路上の集団の中にまぎれ込んだ場合において、警察官が、その集団の中から犯人を探索してこれを検挙するため、その集団全体の移動を停止させるときは、これによって犯罪にかかわりのない多数の第三者の自由をも制約することとなるのであるから、かかる停止が警察官の職務執行として軽々に許されるべきものでないことはいうまでもない。しかし、本件の場合、前記経緯のとおり、外国大使館に抗議に押しかけた集団の一員が同所の警備に従事中の警察官である後藤巡査に対し暴行を加えてその職務の執行を妨害するとともに加療約一〇日間を要する傷害を与えるという犯罪が発生したのであって、その犯罪の内容は決して軽微といえないこと、犯行後犯人は右抗議集団の中にまぎれ込んだため直ちにこれを検挙することができなかったが、犯罪が発生してから間がなく、右集団の動き等からみて犯人がいまだ右集団の中にいる蓋然性が高いと認められ、かつ、被害者の後藤巡査が犯行を現認して犯人の人相特徴を明確に記憶していたのであるから、同巡査において右集団の者を見分すれば、その集団の中から犯人を発見して検挙できる可能性がきわめて高い状況にあったと認められること、集団が移動するままの状態において同巡査が犯人を発見することは、集団の規模、状況等に照らして困難な状態であり、しかも、右集団は抗議行動を終えて漸次四散する直前の状況にあったから、犯人検挙の目的を実現するためには、直ちに右集団の移動を停止させてその四散を防止する緊急の必要があり、そのためには、前記のごとき停止の方法をとる以外に有効適切な方法がなかったと認められること、右のとおり停止を求めた際に、警察官の身体や楯が集団の先頭部分にいた者の身体に接触する程度のことがあったが、それ以上の実力行使はなされておらず、あらかじめ停止を求める発言があったことなどと併せると、右行為は集団の者に対し停止を求めるための説得の手段の域にとどまるものと認めることができないわけではなく、また、停止させられた時間もせいぜい六、七分の短時間にすぎなかったのであるから、本件警察官の措置によって右集団の者が受けた不利益の内容程度もさして大きいものといえないこと、岡安巡査部長が被告人に対し停止を求めて肩に手をかけた行為も、前記集団に対する停止措置の一環としてとられたものであって、その有形力行使の程度も説得の手段の域にとどまることなどの事情が認められるのであって、これらの事情を総合勘案すると、本件の具体的状況のもとにおいては、岡安巡査部長が他の機動隊の警察官とともに行った本件路上集団に対する前記の停止措置は、被告人に対する行為を含め、犯人検挙のための捜査活動として許容される限度を超えた行為とまではいうことができず、適法な職務執行にあたると認めるのが相当である。したがって、原判決が岡安巡査部長の職務執行の適法性を肯定して公務執行妨害罪の成立を認めたのは、その結論において正当である。

よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 木下忠良 裁判官 鹽野宜慶 裁判官 宮崎梧一 裁判官 大橋 進 裁判官 牧 圭次)

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